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ジュエリーを作って仕事にすることは大変?

好きなもの作りをしてそれを仕事にすることは大変ですか?

いいえ大変なことではありません。どんどん作るべし。

好きなことをやって趣味が仕事のような言い方をされますが、実際に嫌いなものなど作れないし、作ったところで売れるレベルまで昇華できないのですから。

売れている、欲しい人がいるということ。そうして反響があることこそが好きなこと、やりたいことに繋がっていくのだと思います。

得意なこと、やりたいこと。合致しないのでしょうか?

自分にとって難しいことなど選んでも良いものは生まれません。楽に作れる、抵抗なく作れる、一心不乱に打ちこめる、そういうことでなければ続かないのです。思いつき作り始めてもすぐに飽きるのです。続けることこそ好きでうまくいっている証です。

制作歴何年とか、ジュエリー販売歴何年という、積み重ねはとても価値の高いこと。

 

入国審査とかビザとか

永住権をとるには、あちらの大学を出ないととれないとか、
何億かの資産を見せないといけないとか、雇用先だの職業だのと国によって制約が違うけれどどんどんきびしくなっていくと聞きます。
日本を脱出して海外に安住したいのか、どこかで一旗あげたいのか、違う価値観があると知って感動していくのか、どこで生まれようと、住むところを自分の責任で選ぶ自由があるというのはすごいことだと思ったりします。
ここで生まれたのだからここの言葉で一生ここにうもれるだけという考えは閉鎖的です。
解き放たれたいという想いはだれも抱いていいのかなとも思ったり。
けれど、そこで満足で幸せならずっとそこに居ていいわけだし、脱出なんて考えないのでしょうし、出て行って違う新天地を見つけたいというのは地に足がついていないからそういう心理になるのでしょうか。はたまた自由度が高いからなのでしょうか。
どこに本拠地を置くのか、どこでも好きなように渡り歩くのか。自分の文化はどこなのか、アイデンティティーは何なのか、考え出すと次々にチャレンジしてみたくなってもっといいところもっとすてきなところへと刺激を求めていくのかもしれません。それは経済的にも限られたひとにしかできないかもしれません。うらやましくもあります。

シルクとアナログとデジタル

シルクというと言わずと知れたカイコによる絹糸。蟲が作り出す絹糸がほんとうにシルクのネクタイやシルクのパジャマになるということです。カイコにくわを食べさせて養蚕農家が育てたカイコのまゆから糸が紡ぎだされるといった家内手工業の代表です。

文字化けしたメールを必死にでコードするようなデジタルな仕事とは無縁のアナログな世界。

指輪だってせっせとアナログな作り方でできなくもないですが、今日に至ってはデジタルな画像とのやりとりがすっかり定着しつつあり、指輪を作って売るのもアナログだけでは限界があるのかもしれないと思います。ガラ系とかデジタルとかいろいろなツールがありますが、使いこなせないと何もうみだされません。ふとそんなことを思ったり。

ネーミング ブランディング

お名前といえばジョージ皇子となづけられたロイヤルベービー。

日本だと創作的な読めない耳馴染みのないめずらしいお名前がもてはやされていますが、あちらでは定番のお名前がつくのですね。

結婚指輪の素材はなにが良いか

結婚指輪を財産と考えるひとがいたら、プラチナが一番換金価値が高い、つまり金属としてのねうちのお話になります。
金も銀も貴金属。
ですが、ここで大切なのは、ずっと着ける大事な指輪ということ。
すぐに曲がったり歪んだり、思わぬハプニングがあるのがプラチナです。
しかも高いプラチナほどやわらかいのです。
これは純度が高いプラチナほどお値段も高いのですが、混ぜ物をブレンドするのにはわけがあり、硬くする必要にせまられて他の金属が入れられているのです。
日本人はピュア志向が強い傾向があり、なにか純と不純みたいなイメージを持たれる方がいらっしゃるのですが、実はジュエリーには硬さを補うために不純物をあえて混ぜているわけです。ですからプラチナの純度が高いとやわらかく、実用に不向きな指輪になってしまいます。家事をするたびに指からはずし、大切にキープし、重いスーツケースを運ぶ時にもプラチナの指輪ははずさないと歪んでしまうことに。

チタンは混ぜる必要がない100%の純チタンしかジュエリーにしません。アレルギーにも対応できます。
そして何よりも丈夫です。曲がったりしない、どんなにきゃしゃなリングでもプラチナのようなゆがみが出ないところが利点です。
欠点は同時に硬く加工が限られてしまうという点です。

指輪には時間軸が刻まれていくのがマリッジリング

マリッジリングというのは、毎日結婚の年月とともに使われ、愛用され日常のいろいろな家事などで次第に傷のような細かい摩耗がおきていきます。
それはまさにそのリングが時間とともに経過していったというあかしなのです。
どんな指輪でもいかなる金属であろうともさけて通れない宿命であります。いつもピカピカにしておきたい、新品の良さももちろんですが、使いこんで味がでてくるという価値観も大事にしたい、とくに結婚指輪のその結婚の期間の長さ、幸せの見えるかたちの象徴なのではないでしょうか。

経年劣化のネガティブイメージと指輪の本質

結婚指輪に

には日々使うことできずができていくのはどんな指輪でもいかなる金属であろうともさけて通れない宿命であります。

それはその指輪とともに、そしてそのパートナーとすごしたあかしが刻まれていく美しい年輪であります。

それを経年劣化とか、なにか古くなっていくことを傷がつくこと、ダメージとしてとらえてしまっては、歴史はうすっぺらなものになってしまいます。

アンチエイジングなどという広告によって、脅迫されているかのように、しわができてはいけない、たるんではいけないと刷り込まれてしまっていますが、アンティーク家具の味わいを美しいと感じられる価値観が、結婚指輪にもあてはまるのだと思います。

いつから新品仕上げとかいうものがサービスとなってしまったんでしょうか。せっかくの年輪を取り去ってしまうなんて、どんな再スタート?離婚と再婚の指輪ならいざしらず、せっかく味がでたものをけずってぬぐいとってしまうなんて、もったいないです。

指輪に時がきざまれ、さらに大事なお守りに変化してく過程が美しいのです。大切にしたいと時間の重みがそこにあるのです。

優れたデザインが売れる理由

良い芸術作品が人々にウケルわけ。良い音楽がヒットするわけ。優れたアニメが大ヒットを飛ばす理由。そういうのを分析するジャーナリストや評論家がいらっしゃるけれども、それはとどのつまりひとつのこたえと質問にいきつくのだと思います。

それは良いモノは認められる、そしてなぜ私の作品はあれほどまでに売れないのかを他の作者なりインタビゥアーが訪ねているのと同じことなのではないえしょうか?

良いモノはうけるにきまっていて、そういうみんなが好きなものに論理的な理屈はいらないのでしょう。ほんとうにいいものをいいとみなが言う、それだけなのだと思います。

デザインも美術も好かれるには理由があるけれどそれをすべて言葉が担うのことなどできないのでしょう。理屈を分析しようとしても言葉を扱うひとの手のとどかない領域なのだと思います。

ものつくりのネットの向こう側の顔

相手を

を顔を思いうかべて作る。これが今年到達したもの作りの極意だと思う。

1年を振り返ってみて、もの作り、仕事とはなんぞやと問うてみても、それは幸せになり相手も幸せになること。つまりはいいものを作って楽しく作って相手の顔を想い浮かべながら作って渡すというシンプルなことなんじゃないかと思います。

仕事は誰のためだとかお金をかぜぐとかいろんなことがもろもろ付随してくるけれど、結局のところしんどいとか負担に想ったりいやいややってはつらいばかりで、幸せになれなくては意味がない。すべてはそこからスタートするのだと。

指輪のサイズを測りに出かけるには

買う気がないのに、そのお店にサイズ目的で測らせてもらうというのは気がひけてしまうものです。

さっとはめて、これかなと簡単にサイズを決めてしまっていいのでしょうか?

ずっと着け続けるならそうでは安易すぎて心配です。

やはりきちんとゲージを借りるとか買うなどしてゆっくりじっくり測り、暑い日や寒いところでの状態も比べられたら最高によいリングができるのだと思います。

ステルスマーケティングとステルスウェルス

ファッション用語で、たしかステルスウェルスとかウェアリングといった言葉が躍った時期が何年か前にあったのを思い出しました。

ステルス戦闘機というレーダーに映らずに忍びよる見えない戦略的意味合いで使われ、裏地におしゃれしたり、ポケットの内側の縫い目だったり、袖口の処理だったり、表の目立つ部分のポイントになるアクセントとしてのおしゃれではなくて、知る人ぞ知るような内側、中に隠れて簡単には気づかないけれどそこがプロの目利きのまなざしに留まればかなり価値が高いような仕様の服を指していたように記憶しています。

昨日今日のステルスマーケティングという言葉が脚光を浴びましたが、その語源には触れられず、消費者に気づかれないように宣伝広告する手法の是非ばがりが取り沙汰されていました。

消費者が自分の都合のよいようにだけ解釈するから起きてしまうトラブルであって、消費者の特徴が如実に現われているなと感じずにはいられません。消費者というのは、販売側の行き届いた説明さえも自分サイドに都合のよいように解釈して聞く耳をもたないというケースが多々あるために、常識で冷静に考えれば得か損なのかわかるようなことにも手を出してしまうのだと思います。販売者が狡猾なのではなく、消費者も自己中心的なところがあるので注意しなければなりません。

指を測ったときと指輪を受け取ったときのサイズの違いは自分のせい?

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のオーダーメイドの号数の測定のとき、指まわりのサイズをはかったけれど、出来あがって受け取りに行ったら指輪がきつかったのは自分の太ったせい?それとも指のなにかが違うの?指輪は測定どおりできあがっています。体調は同じはず。たった数週間でこんなにも違うってどういうこと?測り方がわるかったんじゃないの?と考えがち。でも指輪の号数はあっている、指がいつも同じと考える方が間違っています。l

気温により血管は拡張したり体温を下げようとしたりしてからだはいつもがんばって働いてくれています。だから毎日外気温が違ってもひとはそこに対応できているのです。指の号数だって同じです。暑い日と寒い日も違うし運動後2分後と1時間後は体温も心拍数も指輪のサイズも違うのがあたりまえなのです。いつに合わせるかが問題なのです。

正確な指輪のサイズとは

ただしい指輪のサイズなんて実はないのです。だって常にサイズは変わるから。ひとのからだはいつも同じではないことを知らないと指輪のサイズも誤解してしまいます。朝と夜では靴がいたくなったりするのと同様に、指のサイズも大きくなったりひとによってはちいさくなったり、膨張したりむくんだり、ひからびたり。指にはこの号数ときまった号数があるという勘違いをまずなくして、いろいろな時間帯のサイズを知りましょう。そのうえでどの時間帯に合わせて作れば一番快適なのかを知らないといけないのです。